ホーリズムとスマッツ(ウィキペディアより)

ホーリズムとスマッツ(ウィキペディアより) ~ ホリスティック特集8 2018/11/19

ここらでちょっと、例によって、一応ちゃんと、

ホリスティックという言葉の定義を調べてみましょう。

 

 

といっても、ホリスティックという言葉、

まだウィキペディアにはないようです。

 

(ウィキペディアがそんなに権威あると思っているわけでは、

もちろんないのですが、他の言葉を調べるときに、

ウィキを使ってきたことが多いので、一応揃えたいと思い)

 

「ホーリズム」という言葉はあり、

そこに生みの親とされるスマッツの話もあったので、

まずはここから、調べてみたいと思います。

 

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ホーリズム(Holism)とは、ある系(システム)全体は、

それの部分の算術的総和以上のものである、

とする考えのことである。

 

あるいは、

全体を部分や要素に還元することはできない、

とする立場である。

 

すなわち、

部分部分をバラバラに理解していても

系全体の振る舞いを理解できるものではない、

という事実を指摘する考え方である。

 

部分や要素の理解だけで

システム全体が理解できたと信じてしまう還元主義と対立する。

全体論と訳すこともある。

 

【概説】

ホーリズムは有機体論やシステム理論と関連がある。

これらの考え方は、

現在では分子から人間社会に至るまで、

生物、社会、経済、精神、言語体系 など

様々な系において成り立つことが分かっている。

 

古い科学の問題点を克服するために、

今後の科学に求められている論点である。

 

「ホーリズム」という表現自体は、

ギリシア語の「ホロス(?λο?, holos)」(全体、総和)に由来する。

「holism」という用語自体は、

ジョン・スコット・ホールデンの生物学理論から影響を受けた、

南アフリカの哲学者ヤン・スマッツが

Holism and Evolution『ホーリズムと進化』(1926)が用いたものが

広まったものである。

 

概念としての起源は

ドイツ・ロマン主義の自然哲学に遡ることができ、

機械論の問題点を指摘し自然の全体的認識を目指した

シェリングの「有機的組織化」(Organisation)の概念などにも

その勃興を見ることができる。

 

さらに、人間の精神は部分や要素の集合ではなく、

全体性や構造こそ重要視されるべきという

ゲシュタルト心理学もホーリズムの系譜に属する。

 

現象学にもホーリズム的な考え方がある。

 

近代科学の還元主義的手法を批判しつつ

《ホロン》という概念を提唱したケストラーの思想にも

ホーリズムがある。

 

また、そのケストラーの思想を汲んだ

ニューエイジ・サイエンスの潮流にもそれが見られる。

 

【生物学】

全体に宿る、

部分には見られない新しい性質というのは、

Ganzheit(全体性)と呼ばれる。

 

生命現象を理解するには全体性に注意を払うべきだ、

との注意喚起はハンス・ドリーシュが行った。

 

彼が提示した、全体の形態を維持する

《調和等能系》という概念にもそれを見ることができよう。

 

そんなこともあり、生物学分野では

ホーリズムが生気論と結びつけて理解されることも多い。

 

生物学領域におけるホーリズムは

J.S.ホールデーンやB.デュルケンらが発展させた。

 

ホールデーンは生物とその環境との

密接で一体化した関係を強調した。

 

生物学におけるホーリズムでは主としては2種あり、

ひとつは、生命現象には(人間が恣意的に作り出した)物理法則では説明しきれない特有の原理がある、とするものと、

もうひとつは「群衆や種といった上位レベルの現象は、

個体や遺伝子といった下位レベルでの挙動だけでは

説明しきれない」とするものがある。

 

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スマッツは

自然進化論は偶然による機械的な進化であるのに対して、

ホーリズムの進化論は一定の方向を持った有機的な進化、

と説明されるとし、

また進化を方向付ける超越的存在のようなものを想定していない

すなわち自己組織性を持つものであるとしており、

また、自己組織性は、家族や国家にも想定されている。

 

社会学において、ホーリズムの影響を受けつつ、

社会は個人の集合でなく独自のあり方を持ち、

それによって個人が規定されている事が多い

と考える学派が登場した。

・・・・・・

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あと、ホーリスムの生みの親、

スマッツについての項目もありましたが、

そこではこんな紹介があり、

「ヤン・クリスティアン・スマッツ(Jan Christiaan Smuts・・・)は、

南アフリカおよびイギリス連邦の政治家、軍人、哲学者である。」

として、詳細に書かれているのは、

民族間や国際的な問題を視野に入れた政治家としての側面でした。

 

 

これはもちろん、この編集者の立場からのまとめですので、

一人の人物丸ごとの紹介としては偏ったものではあると思います。

 

主だった業績のところを、紹介しましょう。

 

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彼は様々な内閣に参加し、

1919年から1924年と1939年から1948年に

南アフリカ連邦の首相となった。

 

第一次世界大戦と第二次世界大戦時にイギリスの陸軍元帥となる。

当初は南アフリカ現地生まれ白人の多くがそうであるように

人種間差別を擁護する姿勢をとり、

黒人の解放は西洋文明の究極的崩壊につながると考えていた。

1923年には、都市のはずれに黒人隔離行政区を建設し、

黒人を都市から一掃する措置を首相として講じた。

 

国際連盟のパレスチナ委任統治決議で

バルフォア宣言の条文を使うことを提案し、

ユダヤ人移民を規制したマクドナルド白書に反対するなど

ユダヤ人のシオニズム運動に協力的であり、

ハイム・ヴァイツマンから「モーセ」と称えられたように

イスラエルでは恩人としていくつかの通りやキブツに名前がついてる。

 

1926年に刊行している

『ホーリズムと進化(Holism and Evolution)』では、

生物学における個的機械主義的原子論的な姿勢を問題化して、

人格的全体論的姿勢を訴えている。

 

首相として両大戦の間の幾年間に、

アパルトヘイトを進めたかった大部分のアフリカーナーに反対した。

第二次世界大戦後、彼はファーガン委員会を設立した。

 

それは、南アフリカの全ての隔離政策を放棄することを支持していた。

しかしながら、スマッツが提案を実行できる以前に

彼は1948年に選挙に破れアパルトヘイトの政策が実行され、

1950年死去する。

 

・・・

 

1917年から1919年まで英国戦争内閣の一員でありイギリス空軍創設にも助力している。

 

彼は1941年にイギリス軍の陸軍元帥となり、

ウィンストン・チャーチルの下、戦時内閣にも入閣した。

スマッツは第一次世界大戦と第二次世界大戦両方の

平和条約に署名した唯一の人物でもある。

 

スマッツの成果の一つとしては

国際連盟と国際連合の設立に係わったことも上げられる。

 

国連憲章に前文を書いて、

国際連盟規約と国連憲章に署名する唯一の人物でもあった。

 

イギリスとイギリス連邦を樹立する時、

いままでの関係を再検討した。

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しかし、凄まじい行動力と業績ですね。

 

私が記憶するところでは、

スマッツは「南アフリカのゲーテ」とも称され、

ゲーテと同じく、自然科学から社会科学、

(おそらく文学や芸術)そして政治まで、

幅広い分野で一流の存在として活躍したスーパーマンのようです。

 

最初は民族差別主義者ところから転じて、

人道主義者になったところが、素晴らしいですね。

 

ホーリズムの生みの親が、政治を中心に、

まさにホリスティックに壮大な視野をもって、

世界を股に活躍していたことが、伺えます。

 

ベンジャミン・クレーム氏の『マイトレーヤの使命』によれば、

ゲーテ (1749~1832)(2.2)2-1-4-4-7

スマッツ(1870~1950)(2.0)2-7-1-6-7