20世紀を生きた2人の偉人、スマッツとガンジー
20世紀を生きた2人の偉人、スマッツとガンジー ~ ホリスティック特集9 2018/11/19
先の記事を書く際に調べた、
ホリスティックの起源となったホーリズムという概念を生み出した
スマッツの人生、今までも多少は知っていたのですが、
改めて彼の人生を読んで、どんなところから
ホーリズムという概念が生み出されてきたのをか推測したとき、
ちょっと新たな衝撃を受けています。
ウィキペディアから、昨日は省略した、
彼のプロフィールの最初に書かれている部分を、
紹介させていただきます。
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スマッツは1870年5月24日、
英領ケープ植民地のマームズベリーで
アフリカーナーの大農園主の息子として生まれた。
ステレンボッシュにあるヴィクトリア・カレッジ
(のちのステレンボッシュ大学)に進学した後、
さらに奨学金を得てケンブリッジ大学に進学した。
1895年にケープ植民地に戻ると、
彼はケープタウンで弁護士を開業したが、
1896年のジェームソン襲撃事件に憤激した
スマッツはケープタウンから
トランスヴァール共和国の首都プレトリアへ移住し、
トランスヴァール共和国大統領ポール・クリューガーに、
才能を認められて司法長官の地位に就いた。
スマッツは1899年、トランスヴァール共和国が
イギリスに突きつけた最後通牒を起草した。
ボーア戦争が開戦すると、スマッツは
トランスヴァール軍の指揮官の一人としてイギリス軍と戦い、
首都陥落後も・・・抗戦を続け、
戦争末期にはケープ植民地の奥深くを転戦して
ケープのアフリカーナーの反乱を起こそうとしたが、
これは失敗に終わった。
ボーア戦争敗北後、スマッツはボータとともに
トランスヴァールのアフリカーナーの指導者となり、
・・・自治回復の運動を繰り広げた。
1907年の選挙でアフリカーナー勢力は大勝し、
スマッツはトランスヴァール植民地の指導者となった。
トランスヴァールの政権を握ると、
スマッツとボータは南アフリカ4植民地の合同を提唱し、
各植民地も賛同。
1910年に南アフリカ連邦が成立すると、
スマッツはルイス・ボータ内閣の内相及び国防相となった。
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そして、昨日ご紹介した、
「彼は様々な内閣に参加し、
1919年から1924年と1939年から1948年に
南アフリカ連邦の首相となった。
第一次世界大戦と第二次世界大戦時にイギリスの陸軍元帥となる。 」
に続きます。
人種差別の最も激しかった(と思われる)南アフリカの地に、
大富豪の息子として生まれた、ということが、
彼の人生を歴史の大きな渦巻きに放り込んだことは、
想像に難くないですね。
この経歴を読むと、ほぼ同時期を生き、
南アフリカにも弁護士として赴任したことのある
マハトマ・ガンジー(1869~1948) のことを思い出します。
ウィキペディアによれば、ガンジーは、
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イギリス領インド帝国、
現在のグジャラート州の港町ポールバンダルで、
当時のポールバンダル藩王国の宰相カラムチャンド・ガーンディーと、その夫人プタリーバーイーの子として生まれた。
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18歳で宗主国イギリスの首都ロンドンに渡り、
インナー・テンプル法曹院に入学。
法廷弁護士となるために勉強する。
卒業後、1893年にはイギリス領南アフリカ連邦
(現在の南アフリカ共和国)で弁護士として開業した。
しかし、白人優位の人種差別政策下で、
鉄道の一等車への乗車を拒否され
荷物もろとも放り出されるといった強烈な人種差別を体験した。
こうしたことから、
イギリス領南アフリカ連邦の人種差別政策に反対し、
インド系移民の法的権利を擁護する活動に従事するようになる。
1880年代以降、ガンディーは
インドの宗教的叙事詩『バガヴァッド・ギーター』と、
ロシアの小説家レフ・トルストイの影響を受けていた。
『新約聖書』の「山上の垂訓」などイエスの思想にも洞察を深め、
「非所有」の生涯を決意。
後の非暴力運動思想を形成していく。
20世紀初頭には、南アフリカ連邦となり、
1913年に原住民土地法が制定されるなど
人種差別政策の体制化が進んだ南アフリカにおいて、
インド系移民の差別に対する権利回復運動を行った。
1908年に初めて逮捕された。
その後、1913年にトランスバールの行進を企画して
初めて投獄された。
しかし、不正を追及して撤廃させ、初めて勝利を手にした。
ダーバン近郊でアーシュラマ共同農園を創設。
そこで、禁欲、断食、清貧、純潔を実践して精神面を強化し、
イギリスからの独立を展望している。
南アフリカでの経験は、
1915年にインドに帰国してからの民族運動にも生かされている。
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ということです。
ほぼ同時代を生き、
国は違えどイギリス連邦に所属する植民地の
裕福な指導者の家に生まれ、
イギリス留学後、2年違いで南アフリカで弁護士を開業し・・・
という2人の酷似したキャリア、
これで、交流があったかどうかは別にして、
お互いを意識しあわないわけはないですね。
そして、
片や、非暴力を通してインド独立を達成させ、
片や、2つの大戦の平和条約に署名し、
2つの国連設立に係わった唯一の人物となって、
ホリスティックという新たなパラダイムの礎をつくった。
この2人の関係を、徹底的に調べてみたい気もしますね。
小説家なら、壮大な歴史ドラマが描けることでしょうね。