アトミスティックによる支配の危機から「ホリスティック」の生まれるとき

アトミスティックによる支配の危機から「ホリスティック」の生まれるとき ~ ホリスティック特集7 2018/11/17

ホリスティックとは何か、という問題を考える上で、

あえてオーソドックスな言葉の定義から考えていくことをやめて、

昨日書いたように、もう一度原点にさかのぼって、

ホリスティックという言葉が生み出されねばならなかった必然性を

探り出そうとする営みを続けています。

 

 

ホリスティックという言葉に対置される言葉は、

アトミスティック~要素(還元)主義です。

 

近代以降、唯物的な科学が、

それによって導き出された、

人力ではとてもかなわない高度で生産性の高い技術を背景に、

世界を支配し、グローバルスタンダードな知の体系として、

世界に君臨するに至っています。

 

 

それは、とても素晴らしい側面をもっていた半面、

それまで人間の等身大のスケールで行われていたものを、

著しく拡大したスケールで行うことが可能になってしまったが故、

その思想が本来的に蔵している不備な点が拡大し、

今日、人類・地球の生存を危機に陥れるまでになっています。

 

 

20世紀初頭の時点で、

やがてはこれが大問題を引き起こすであろうことが、

スマッツの直観によってとらえられ、

それが「ホリスティック」という新たな概念を

生み出すに至ったのだと思います。

 

 

こう書きだしてみると、

「ホリスティック」という概念が、

その後、どのような発展~変遷を遂げるか、

という問題は、

ブッディ界にある大計画に基づき、

科学の行き過ぎを正すために与えられた「アイディア」が、

メンタル界で「理想」に変じてイリュージョンの覆いを被り、

さらには大衆化され、グラマーに浸されるという、

「ホワイトマジック」で取り上げて論じられている現象のように

思えてきます。

 

 

これは、不完全な人間の集団が関与する社会現象として、

ある程度はやむを得ないとして、

しかし、秘教を通してそのメカニズムを学んでいる者としては、

この問題に対して自覚的に取り組み、

その有害な変色をできるだけ抑えるために働かなければならない、

という使命を感じる問題でもあります。

 

 

24日、連休2日目のオープニングイヴェント第3弾は、

一応、オープンではありますが、

秘教仲間のマニアックな集会になる予定です。

https://www.holisticspace-aquarius.com/2018/11/08/20181124event/

 

別に、何も身体的に危険なことはないので、

精神的に勇気のある方はご遠慮なく。。。

 

この日のスペシャル・ゲストは、今回は名前を公表しない、

「秘密の秘教作家」さんです。

 

この方とは、ごく最近メールのやり取りをしたばかりなのですが、

その最新作は「ホワイトマジックの(作家としての)実践」

として書いた、という言葉が送られてきました。

 

それで私も、対抗意識が出て? すかさず、

「アクエリアスもホワイトマジックの実践場としてつくりました」

と豪語してしまいましたが、

これは、やるしかないですね。

 

 

さて、ホリスティックという概念ができて、

アトミスティック、要素還元主義的な思考法、

それによって生み出された機械論的なヴァーチャルな世界像と、

生身の生きた生命の存在する現実社会との間の溝を

埋められる可能性が出てきたわけです。

 

 

科学者たちは、というか、これは人間一般、誰でもがもつ特性ですが、

効率よく成果の上がるやりやすいところから、手を付けていきます。

 

 

デカルト、ニュートンにより、

唯物論的なパラダイムが出来上がり、

その土俵に乗っかって、

一気に科学的真理の網の目が張り巡らされ、

それが私たちが生活を営む多くの領域に張り巡らされました。

ただし、多くであって、全部ではありません。

 

 

そこに含まれない部分の代表が、

いわゆる「スピリチュアル」として扱われている領域ですが、

今はそれについて述べるときではありません。

 

 

科学は、それが扱える領域では完璧だと思われてきたのですが、

それが鉄壁ではなく、結構ザルであったことを明らかにしたのが、

ホリスティックという概念だったのです。

 

 

スマッツがどういう性格の人で、

どういうところから、「ホリスティック」という概念に気づき、

それが大切だと思って発表したのかはわかりませんが、

(多分、彼の『ホーリスムと進化』という作品を読めば、

ある程度推測はつくのでしょう)

やはり、ちょっと調べてみたいやりました。

続きはまた、明日。